みなさんこんにちは。ミッティです。
第1回目の「実になるおはなし」トマトが”トマト”になったわけは
いかがでしたでしょうか。
皆さんからたくさんのコメントを頂きまして、ありがとうございます
順次、頂いた声にお応えできるような記事を更新していきたいと考えています
「実になるおはなし」第2回目のテーマは、「トマトの生まれと世界への広がり」です☆☆
諸説ありますが、ピックアップしてトマトの歴史を紐解いてみます。
トマトのふるさとは南米アンデス高原
トマトと言えば、どこを思い浮かべますか
地中海沿岸の国々という方も多いのではないでしょうか。
ところが実は、トマトの生まれ故郷は…
南米ペルーを中心としたアンデス高原と言われています。
調査により、この地域では8~9種の野生種トマトが自生していることがわかりました。
太陽がさんさんと降り注ぐカラッとした気候で、昼夜の温度差があり、
水はけのよい土壌にも恵まれているアンデス高原。
トマトの原種はいずれも、たくさんの小さな実をつけたチェリータイプのトマト
現在のミニトマトに近い形でした。
南米アンデス高原からメキシコへの旅
アンデス高原で生まれた野生種トマトたちは、人間や鳥によってメキシコに運ばれます。
原種の中でも、特に熟すと真っ赤になり、糖度の高い「ピンピネリフォリウム」。
人間や鳥が好んで食べ、種を排泄し、その種が発芽し、再び実を結び・・・
少しずつ少しずつ分布を広げていきました。
やがてたどりついたメキシコで、栽培され、食用になっていったとされています。
このメキシコで、第1回目でお話したトマトの語源である「トマトゥル(膨らむ果実)」と
呼ばれるようになったのです。
メキシコからはるかヨーロッパへ(16世紀~18世紀)
1492年、コロンブスの新大陸発見をきっかけに、トマトの旅は世界へと広がっていきます
大勢のスペイン人が続々と新大陸に押し寄せ、じゃがいも、トウモロコシ、唐辛子など
様々な植物を持ち帰ったとされていますが、トマトもそのひとつ。
アンデス高原のアステカ文明を征服した、エルナン・コルテスがトマトの種を
持ち帰ったのが始まりといわれています。
しかし、トマトの強烈な匂いやあまりに鮮やかな赤い色への抵抗感、
トマトの分類であるナス科の植物には麻酔作用や幻覚作用のある植物が多かったことから、
トマトも毒であると信じる人が多く、観賞用とされていました。
ヨーロッパで一般的にトマトが食べられるようになったのは、
なんと200年も経過した18世紀になってから。
そのきっかけは、飢餓に苦しむイタリア人が食べざるを得なかったためだと言われています。
今ではこんなにおいしいトマト…最初に食べてくれたイタリア人に感謝したい気持ちです。
メキシコから北米アメリカへ(18世紀~19世紀)
栽培トマト発祥地メキシコのお隣、アメリカにトマトが伝わったのは、
なんとヨーロッパに遅れること200年18世紀のことでした。
なんだか不思議ですね~
諸説ありますが、後の第三代大統領トーマス・ジェファーソンが、
1781年頃に自宅の庭で栽培したのがはじまりだとか。
アメリカで、トマトが一般的に食べられるようになったのは、19世紀半ばになってからです。
一気に世界中に広まったわけではなかったのですね~。
じっくり時間をかけて、時には鑑賞され、時には恐れられながら、海を渡り広まっていったトマト。
日本へはいつ、どのようにトマトが渡ってきたのでしょうか。
次回は、トマトの歴史第二弾をお送りしたいと思います。どうぞお楽しみに